相手に「伝わってないな」と感じることもあれば、「あれ、おかしいぞ」と思うこともあります。「当たり前」や「常識」の違いと言ってしまえばそれまでですが、必要なことは「語りかけること」かも知れません。
①当たり前
かつては「当たり前」と思われていたことが、すっかり変わったことは数え切れません。自分が社会人になったとき当たり前だったものに「ポケベル」「ピッチ」「カセットテープとウオークマン」「V H Sとベータ」など。今では、スマホで足ります。
「夫が働き、妻が専業主婦、子供二人」という標準世帯は少数派で、今や主流は「一人世帯」です。日本という国の家族の有りようも変わりました。もはやサザエさんの磯野家は「当たり前」ではありません。
家族の構造について、人口統計学者として知られるエマニュエル・トッド氏は日本を直系家族に分類しています。直系家族とは「親は子に対し権威的であり、兄弟は不平等」という家族の構造になります。
確かに、戦前の明治民法であれば「家制度」という仕組みですから、家長が家を支配して、長男が家督を相続していました。まさに、直系家族になります。しかし、今の日本はどうでしょうか?
世の中的に「子供は平等に」という感覚が強くなってきたように感じます。しかし、長男優先という価値観も無くなったわけでもありません。未婚率も離婚率も上昇していますし、家族模様は多様になっています。
もっとも、江戸時代や明治時代の初め頃は、今以上に離婚社会だったことは知られていません。この当時は家を守る意識が強いため、新たに家に入ってきた婿や嫁を簡単に追い出していたためです。
実は、離婚率が下がり、夫婦添い遂げる時代は明治民法が施行されてからです。夫婦関係が良くなったという訳ではなく、家制度の影響で妻の財産権が失われたことが原因です。妻が経済的自由を奪われた結果なのです。
②組織を支配する原理
個人に平等意識が強くなっても、組織となると直系家族の傾向が色濃く残っています。つまり、権威(偉い人)に忖度(意を汲む)して、組織の構成員それぞれがその意を実現する方向に一斉に走り出す傾向がある、ということです。
つまり、直系家族は父親に権威があるとしているが、実は父親が主体的な判断はせず、家族が意を組んで動いているという「意思決定者の不在」の問題です。確かに、政治でも企業のでもよく見かけます。
最終的に誰が決めたわけでもないが、権威者の意を汲み、その場の空気で方向性が決まっていく。なんとなく決まった方向が上手くいけば皆がハッピーになりますが、近頃は不祥事として目につくことが多いと感じます。
オーナー社長が自分で走り回っている状態を脱して、仕組みで回せるようになったと思ったら、現場は社長の意を忖度して全く違う方向に走っていた、ということになりかねないということです。
そもそも日本の家族類型は多様なのですが、組織となると直系家族の傾向が出てくるのは不思議です。徳川幕府、明治政府の支配原理が直系家族システム(家制度、嫡子単独相続)だった影響かも知れません。
直系家族には秩序を大切にし、教育を重視するという良い面もあります。だからこそ、直系家族に分類される日本やドイツでは、長く続く企業が多いと言われています。
③有り難い
同族企業(ファミリービジネス)では家族という集団と企業という組織が互いに影響を与えながら成立しています。その中心にいるのはオーナー社長であり、創業家一族になります。
「同族企業では、一族の者は肩書や仕事が何であれ、事実上、トップマネジメントの一員である」 (P.F.ドラッカー『チェンジ・リーダーの条件』
会社の沿革や創業者や歴代経営者の歴史を振り返り、その教訓を家族や社員に語り続けてきた会社と、過去の歴史を振り返ることなく未来だけを見る同族会社では、どちらが存続する確率が高いでしょうか。
「地震が来たら高いところへ逃げろ」と語り継がれていた家族と、過去のことだと振り返ることがなかった家族では、いざ大地震が来たときに生き残る確率は違います。
NHKの「ファミリーヒストリー」という番組を見ていましたら、元キャンディーズの伊藤蘭さんが出演していました。本人も知らずに驚いていたのは祖父の雅号が「伊藤蘭」であったという事実です。
2代先のことを考えるには、2代前のことを知るべきであると改めて思った次第です。となると、社員のみならず、家族に対しても「ファミリーとビジネスの歴史」を語るべきだと考えます。
ところで、「当たり前」の対義語が何か、ご存知でしょうか?
正解は「有り難い」。
先代がいるのは「当たり前」。先代がいてくれて「有り難い」。
経営を引きついで「当たり前」。経営を引き継がせて頂いて「有り難い」。
必要なことは「語りかけること」ではないでしょうか。
<まとめ>
同族企業(ファミリービジネス)に必要なことは、オーナーがファミリーとビジネスの関係者に語りかけることではないでしょうか。